来週、6月21日から28日まで、アヴェイロ(Aveiro)から約100km弱、東にあるヴィゼウ(Viseu)という町で「Torneio Lopes da Silva」が開かれます。ポルトガルサッカー連盟(FPF)が主催する、全国の地区連盟の選抜が集う、U-14(14歳以下)の大会です。育成年代では国内最大規模とされ、未来の代表選手の登竜門とも言われています。
その前週の金曜日である今日、私の住む地区の代表選手の発表がありました。ここにくるまでいろいろ思うところがあったので、地元の地区連盟が最終的にどのような判断をするのか個人的に気になっており、当日は朝からそわそわしてました。別の意味でそわそわしていた夫(我が家の息子が選ばれるかどうか…幸い無事選ばれました)が選抜チームメンバーが出たと教えてくれたので、サイトに見に行き、少なからずがっかりしました。
やっぱりコネ最強。
ここにたどり着くまで
U-14の地区選抜チームに選ばれるということは、ここまでサッカーを続けてきた子供たちにとっては名誉なこと以上に、最後から数えた方が早い大きなチャンスなのです。早くから飛び抜けていた将来有望なサッカー少年の多くは、中学に上がる前までにスカウトの目に留まり、ベンフィカやポルト、スポルティングといった国内の大きなクラブのアカデミーに引き抜かれていきます。
そこへ行けなかった、それでもボールを蹴るのをあきらめきれなかった子供たちは、地元のクラブで練習を重ね、地方大会で試合をこなし続けます。U-12やU-13でも選抜チームは作られますが、周辺地区の選抜チームとの対抗試合が開催される程度で、このように1週間全国規模で行われる大会とは、スケールが全く異なります。テレビ放送も予定されており、子供達にとっては、全国の指導者の前で自分をアピールできる、ほぼ最後の大きな舞台なのです。
ちなみに、我が家のある地区のU-14メンバーの選抜は今年1月に始まりました。最初は週に1回のペースで少しずつふるいにかけられていきます。そして、6月第3週目の今週は24名までに絞られたメンバーで毎晩練習に招集され、今日、その結果20名の選抜メンバーが発表されたのです。
大人が、あきらめを教えるとき
その結果が冒頭の「がっかり」でした。チームのいくつかの席は、実力とは関係のないところで埋まってしまっていました。地元のサッカー連盟で力を持つ人の息子やその仲間。地域で顔のきく人の息子。
何となく今年はその予兆がありました。地元サッカー連盟の役員が自分の息子のいるU-14の選抜チームの練習に頻繁に顔を出し、そして、その周りには、時には差し入れを持った取り巻きの親達…。それを知ってか知らずか、直前のメンバー絞り込みの発表がFBに投稿された際には、「コネや個人的繋がりでメンバーが決められるから、この間の試合のような結果になるんだ」と不満のコメントが投稿されたこともありました。
それでも、地区のサッカーを統括する公式な連盟として、最終的には公平な選抜をしてくれるのでは…と一縷の望みをかけていましたが、残念ながらあっさり裏切られました。
本来、子どもにその背中を見せるべき立場の大人が、率先して公平さを踏みにじる、努力よりもコネがものを言う世界を、当の子どもたちの目の前で堂々と見せつけるー外された子供は、ただ試合に出られなかっただけではありません。どんなに頑張っても、力のある大人に繋がっていなければ報われない―そういうあきらめを、心の片隅に植え付けられ、人によっては頑張る意義を見失ってしまうのではないでしょうか。
ポルトガルには「cunha(クーニャ)」という言葉があります。コネや縁故で物事を有利に運ぶことを指す、この社会に深く根づいた習慣です。役所でも仕事でも顔を出すこの慣習が、子どものサッカーにまで及ぶ。文化の違い、と言ってしまえばそれまでなのかもしれません。けれど、その「文化」のしわ寄せを、ただ純粋にボールを蹴っていたい13、14歳の子どもが受けるのだとしたら…。
縁故が完全に悪いと言っているわけではありません。例えば自分が社長で誰を雇おうかと考えれば、やはり仕事ぶりをよく知っていて信頼できる人、結果、身近な人にお願いしたくなることは当然あり得ます。でも、今回のような場合、皆の仕事ぶり(プレー能力)はここ半年の練習で連盟も分かっている、そのような状況で個人の頑張りを公平に評価せず、分かりやすくコネを優先するのは、ひたむきに頑張ってきた子供達に対して失礼が過ぎると思うのです。
それでも、と言えるように
我が家の地区はサッカーのビッグチームがないので、地区選抜にもこのようなことが起こりやすいのかもしれません。リスボンやポルトのようなビッグチームがある地区では、そもそもビッグチームに所属しない子供が選抜チームのメンバーに選ばれる余地がないと思われるからです。もしくは、たとえそのような地区であっても、程度の差はあれ、当落線上にいる人はこのような割を食う経験をさせられているのかもしれません。
そして、そういうことは、どこの国でも、どんな社会でも、多かれ少なかれあるのかもしれません。
でも、そういうことが当たり前の社会に慣れてしまうと、人は「頑張っても無駄」だと思って努力をしなくなるのでは、と危惧してしまうのは私だけでしょうか。私自身、今までの人生、うまくいかなかったこともいろいろあったかもしれませんが、個人的に幸せだったと思うことは「頑張って前を向いていたら、その人にとって最善の結果に繋がる」という気持ちを持ち続けられてきたことです。つまり、頑張ったことがすぐに結果に繋がらなかったとしても、何らかの形で実を結ぶことを実感し信じてこられたことです。
これは、明らかな不公平が身の回りになかったから、もしくはそれに気付かない鈍感力があったから(笑)かもしれません。来週から始まる全国大会、今回の選抜プロセスで犠牲になった子供達が、「それでも、自分は頑張ってよかった」と、思える日がいつか来ますように。
「努力は、報われますか」少なくとも、子供にそう問わせてしまう大人ではありたくないと強く感じた日でした。

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