学校から帰ってきた息子に、「学校、どうだった?」と聞く。返ってきた答えは、この一言。
「よかった」
……うーん。日本語ネイティブなら、この返事に何とも言えない据わりの悪さを感じませんか? 間違ってはいない。文法的にも完璧。でも、何かがずれている。そう、ちょうど私のポルトガル語みたいに(涙)! ふつう日本語なら、「楽しかった」とか「面白かった」とか、その辺りが出てくるところですよね。
種を明かせば、この元凶はポルトガル語。「Como correu a escola? / Como foi a escola?(学校どうだった?)」と聞かれて、ポルトガル語ネイティブの息子は頭の中で「Correu bem / Foi boa」と答えを用意し、それをそのまま日本語に変換している。英語でいえば「It went well / It was good」。それを律儀に訳した結果が、この「よかった」なわけです。
逆に、いつまで経っても外国語慣れしない私のような日本人が同様の質問をされたら、「楽しかった」や「面白かった」を無駄に外国語に訳そうとして、更に据わりの悪い珍返答を生み出したりして…おあいこですね。
「映画どうだった?」と「学校どうだった?」は、別物
さて、この据わりの悪さ、正体は何なのでしょう。どうやら、英語のgoodやwell、ポルトガル語のbomやbemと、日本語の「よい」の使い方が、微妙にずれているらしいのです。
というわけで、ちょっと考えてみることにしました。
たとえば「あの映画、どうだった?」に「よかった」。これは自然ですよね。「よい映画かどうか」を尋ねる質問に、「よい」で答える ― 評価のやり取りとして、ちゃんと噛み合っています。
ところが「学校は、どうだった?」はそうじゃない。聞いているのは「よい学校かどうか」ではなくて、「今日どんな一日だったの?」です。だから「よかった」だけだと、質問と答えがすれ違って、ちょっと宙に浮く。日本語の「よい」は、具体的なモノやコトの性質を値踏みするのは得意だけど、一日まるごとを受け止める器としては、ちょっとサイズが足りない。
一方でbomやgoodは、その「良し悪しの評価」も「体験の印象」も、一語でまとめて引き受けてしまう、なかなかの働き者。ちなみに学校(escola)を受けるときは女性形のboaになりますが、こんなふうに特定のモノを指さない「(今日のあれ)よかった」なら、身軽にbomに戻る。だから「Foi bom」は、体験の返事としてそのまま成立するわけです。それをそのまま「よかった」と訳すと、片方にしか着地できずに、あの微妙な空気が生まれる、というわけです。
bomやgoodを「=よい」とだけ丸暗記すると、こうして不思議な日本語が完成します。言葉って、辞書で一対一に見えても、実は言語ごとに担当範囲がずれている ― まったく油断ならないヤツなのです。
「Did you like it?」で、目が泳いだ夜
さて、この「ずれ」のお陰で、私が人生で最も派手につまづいた言葉が「gostar」、英語でいう「like」です。
「Did you like it?」
高校時代、アメリカ留学のごくごく初期。仲良くなった友人と二人で出かけた、その帰り道でこう聞かれた時の衝撃を、私は今でも忘れられません。likeといえば「I like cats」のような典型的用法「〜が好き」しか引き出しになかった当時の私。なぜlikeが過去形に…?脳内で盛大に迷子になり、見事に目が泳ぎました。
本当はただ、「今日出かけて楽しかった?」と聞かれていただけ。それを、「like=好き」一択だった当時の私は、うまく日本語に着地させられなかったのです。英語学習初期の単語「like」に引っかかりまくった私のあの時の反応、友人はさぞ不思議に思ったことでしょう(笑)。
そして人生はよくできたもので、これがそっくり逆さになって出戻ってきました。今度は息子が、私にこう聞いてきたのです。
「好きだった?」
ポルトガル語には英語の「Did you like it?」にあたる「Gostaste?(Gostou?)」があって、これがまた日常的によく使われます。息子はそれを、そのまま日本語に直訳したわけです。ちなみにこの直訳、ポルトガル在住の日本語学習者あるあるでもあります。
なぜこうなるか。日本語の「好き」は、基本的にずっと続く性向を指します。「猫が好き」みたいに、その人に備わった好み。ところがgostarやlikeは、それに加えて「その一回の出来事を楽しめたか」というその場の反応まで引き受けてしまう。だから「Gostaste?」は「(今日のこれ)楽しかった?」になる。
日本語で同じことを言うには、「好き」を使い回すんじゃなくて、「楽しかった?」と文脈に応じて変化させないといけない。息子の「好きだった?」は、その文脈に応じた変化をすっ飛ばして、言葉を一個ずつ置き換えた結果なのです。うん、20年前の私と同じ轍。血は争えません(笑)。
言葉の“担当範囲”という、やっかいで愛しい地図
「よい」と「bom」、「好き」と「gostar」。辞書ではきれいに対応しています。でも、その一語が実際にカバーする範囲は、言語ごとに異なります。片方では一語で足りるのに、もう片方では言葉を丸ごと入れ替えないと届かない。ここに、文化的差異というエッセンスが加わると、もっと面倒なことになる。この“ずれ”をどう説明するか、ついつい考えてしまうのは、ポルトガル人に日本語を教える教師の性ですね。
でもまあ、これこそが語学のいちばん面倒で、いちばん面白いところなのかもしれません。単語を覚えるのは、点を覚えること。本当に欲しいのは、その点がどこまで広がって、隣の言葉とどこで肩がぶつかっているか ― そういう“地図”のほう。息子の「よかった」も「好きだった?」も、間違いというより、二つの言語の間に息子が勝手にかけた、ちょっと不格好で愛しい橋なのだと思うことにします。
ある日の午後。ずっと気になっていたことを、コーヒー片手にのんびり自分なりに咀嚼…何だか、平和だわー。

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