ポルトガルの子供はどうやって学校に行く?ー徒歩デビューさせてみた
「そう言えば昨日お礼を言うのすっかり忘れてた!」朝ふと思い出し、息子のクラスメートのお母さんにいそいそとお礼のメッセージを送信。前の晩、そのお母さんから、「うちの車に○○(息子の名前)がスマホを忘れていったよー。」とのメッセージが届いたので、お礼を言って、スマホが手元にない息子に代わって、翌朝2人で学校に行く待ち合わせ時間を決めたところまではよかった、でも「何で、車??」聞くと、息子は昨日、そのクラスメートのお父さんに車に乗せてもらって登校したと言うのです。
車に乗せてもらったことのお礼をすっかり失念してしまっていた私は翌朝冒頭のメッセージ送信。時間をおかず来た返信には、「お礼は不要よ。○○(息子の名前)はいつでもマルティン(クラスメート仮名)と一緒に(学校に)“pode ir(=can go)” しかも最近は寒いし。」とありました。“pode ir(=can go)”ー日本語だと「行っていいのよ」ぐらいな感じでしょうか?前の晩、マルティンのお母さんと、息子たちの待ち合わせ時間を約束したのは、2人が一緒に歩いて学校に行っていると完全に思い込んでいたからだったのですが、この半ば上から目線、いやいや恩恵を含んだような話し方は、明らかに車に乗せて行って「くれる」ということのようです。
「またかーい💦」
人の好意を無為にするようなその過剰反応は何?と思われるかもしれませんが、私にとっては、ここに来るまで既に1年超かけたプロジェクト(!?)。遡ること昨年9月、5年生になったんだから、そろそろ学校に一人で歩いて行くことを身につけて欲しいと思い、とりあえず歩いて学校に行くことを習慣化させるべく、毎朝、息子に付き添って歩き始めることにしました。日本では、小学生の子供が歩いて(または公共の交通機関を使って)一人で登下校するのは普通だと思うのですが、こちらでは親が車で送り迎えをするのが一般的です。理由は子供一人で通学は危ないからでしょうか。ちなみに、我が家のある町は規模の小さいのんびりとした内陸の田舎町で、話しかけてきた人について行きさえしなければ、基本的に危険はないと思います(もちろん絶対はないですが…)。幸い、我が家から学校までは子供の足で片道20分程度の距離です。
うちの息子も例に漏れず、原則、夫が車で送り迎えをしていました。でも、朝のラッシュアワーの車の渋滞や親が学校前に作る車列は酷く、歩いた方が早いことも普通にあるし、歩ける距離の学校にわざわざ親が車で送り迎えすることに何のメリットがあるのかー夫は割かなくてもいい時間を割くことになり、息子も一人で歩いた方が健康上も自立心を育む上でもいい―そして、何よりも息子は、授業開始時間から逆算して何時に家を出なければならないのか、といった時間管理能力が明らかに低く、それが私の心配の種でもありました。
そんな訳で、1年以上前から息子の登校に付き合って、毎朝、私も歩き始めました。そのうち、息子のクラスメート、キッコ(仮名)も一緒に歩いて登校するようになり、「はよ歩かな遅刻やで~!」と2人のお尻を叩きながら、いつ2人だけで行かせられるようになるのか様子を見つつ、気づいたら1年経過していました。息子だけならさっさと一人で行かせていたのでしょうが、先方のご両親が私の付き添いに免じて子供を歩かせているような気が(勝手に)していて、なかなか言い出せずにいたこともあります。
そんなこんなで、6年生になった今年9月、(やっと!)そろそろ2人だけで登校させようということで、息子とキッコの2人登校が始まりました。そんな中、「今日はちょっと天気がよくないから車で送って行くよ」などと、ことあるごとに先方のお父さんが子供だけの徒歩登校を妨害(笑)してきます。そして、そろそろ一学期も終わろうという先週、「息子が、体調がイマイチだと言うので、しばらく車で送っていくよ。○○(息子の名前)も一緒にどう?」と言われた夫は、「妻(私のこと)が車で行かせたがらないので、どうぞお気遣いなく」と断ってくれ(事実やけど、他に言い方ないん?笑)、息子の一人登校が始まりました。遅れそうなら走ったり自分で時間調整しつつ、「今日は8分前に学校に着いたで~!」と嬉しそうに報告してくる息子は、順調に一人登校を楽しんでいるようでした。ちなみに「帰りはキッコと歩いて帰ってきた~」だって(むっちゃ体調不良やん笑)。
そんな矢先、息子が「マルティンが一緒に学校に行きたいって!」と朝待ち合わせして出かけるようになりました。いつも仲良くしているクラスメートの一人と一緒に登校、よかった!と思っていたら、冒頭のメッセージ。最初は、本当に2人で歩いて行っていたようなのですが、ここ2日程マルティンのお父さんがマルティンを車に乗せて、待ち合わせ場所で息子を待っていたとのこと。つまり、「寒いから」車で送っていくのが妥当というご両親の判断だったのでしょう。
そんな時なぜか思い出す、昔小学校で踊らされた「南の国のハメハメハ大王」の歌詞…「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みで…」当初は、「何やそれ?」と思っていたけれど、このゆるーい感じ、ハメハメハ王国といい勝負やん…いやいや。
ポルトガルは、日本に比べて親としては子育てがしやすい国だと思います。日本に長く住んできた私は、いつも周りに迷惑を掛けちゃいけない、とそればかりが気になり、息子が2歳の時、初めて飛行機に乗せて日本に一時帰国した際も、公共の場で息子が騒いだらどうしよう!と心配で心配で前の晩もよく眠れませんでした(熟睡してたやん笑)。息子が生まれたばかりの病棟でも、私はよく泣く息子を前に同室の人達に迷惑なのでは、とストレスで一杯一杯になっていたのを今でも覚えています。それが、ポルトガル生活が長くなった今となっては、おかげさまで順調に図々しさが育まれ(笑)、誰も気にしていないと思えるようになりました。それもこれも、ポルトガルでは、赤ちゃんの頃から外を歩けば誰かしらが声を掛けてくれ、子供に優しく接してくれたからだと思います。
ただ、最近時々思うのは、優しい(?)も過ぎると毒になるのでは?ということです。「子供の自立」と声高に叫ばれている割に親が自分の行動が及ぼす影響をよく考えもせず無意識に自立を阻害しているのではないか、と思うことがよくあります。子育ての究極の目的は将来自立した大人にすることだと思うなら、何でそんなに大人が手出し・口出しするんだろう、日々の忙しい生活の中待てなかったり、危険から子供を守りたかったりする気持ちはわかるけれど、待つことをしないで、先回りして何かを代わりにしてあげる前に、もう少し子供のチャレンジを見守ってみては、と(気の利かない、優しくない親の言い訳でもあります笑)。息子を見ながら、子供は大人が思っている以上に逞しく賢いと確信させられる今日この頃です。
一学期も終わった今日、成績表を渡すための保護者会が開かれました。いつもはしゃんしゃん総会ならぬしゃんしゃん保護者会、今日は保護者も先生もしゃべる、しゃべる。息子はConservatório(音楽学校)の授業が組み込まれたカリキュラム(ensino articulado)のクラスにいて、今年から音楽学校の再編で評価も厳しくなり、親も真剣です。息子も今期ピアノで渋い点をつけられ相当ショックだったようですが、これまであまりにも評点が甘かったので、個人的にはむしろ適正な方向に舵取りが行われてよかったのではと思っています(これを機にもうちょっと練習しとくれ、息子よ)。ただ、保護者としてはやはり成績が気になるようで、一般科目のテストや楽器の実技試験、宿題の提出が同じ時期に重なることに対して、子供、いや親(?!)の負担が大きいので見直して欲しい、など意見が交わされました。
息子がいろんな人から親切に優しくしてもらって本当に本当にありがたい(本当に心から感謝!)反面、場合によってはありがた迷惑だと思ってしまう私は、面倒臭い、傲慢な手抜き教育ババアなんでしょうかね…まさか学校に子供だけで歩いて登校させることがこんなにも大変だとは!ま、学校にどうやって行くかなんて大した問題ではない、と言ってしまえばそれもそうなんでしょうけど…⤵