ドウロ、トラズ・オズ・モンテス地方の愉しみ方

情けなや、我がプレゼン力

2022/12/27
 
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昨日、今年のプレゼン納めをして来ました。性格上プレゼンは苦手、もともと動きのよくない頭が人前だと機能障害を起こして真っ白。人前で体を動かすだけならまだしも頭はてんで自信なし…。特にポルトガル語の会計・ファイナンス関連のテクニカルタームを使ったプレゼンは、いまだに言葉が瞬時に出てこなくて苦労するので、スクリプトを作成して、読んでます…それ、全然あかんやつやん♬そうそう、そのあかんやつ!

そして、昨日はファイナンス・会計関係のポルトガル人研究者が、それぞれの研究を持ち寄って意見を交換し合うインフォーマルな集まりで、研究者でもない私はひょんなことからこれに参加することに。参加者は全員ポルトガル人だから当然ポルトガル語かと思いきや、皆英語でプレゼン、質問やコメントも全部英語。パワーポイントを英語、スクリプトをポルトガル語で準備していった私は、そこで瞬時に「じゃあ、英語で」と言える度胸も英語力もなく、ファイナンス中心の計量経済学の数式がこれでもかと鎮座する参加者のパワーポイントに恐れおののき、えらい場違いなところに来てしまったことを後悔しましたが、時すでに遅し。堂々と恥を垂れ流して帰って来ました!

さて、そんなこんなで意気消沈したランチタイムに、ぼそっと「皆、英語が苦なく話せて羨ましい(私の経験上ポルトガルでは皆何とかするのですよ)」とつぶやいたら、「ポルトガル人が英語とか外国語ができるのは、映画などテレビ番組を吹き替えないからじゃないかな。スペインなんて全部吹き替えるからね(スペインとの比較はお約束笑)。」と言われました。なるほど、少なくとも耳が鍛えられるということですね。確かにそれは一理あるかも。もしかしたら今は変わっているかもしれませんが、日本でも以前地上波は外国映画は吹き替え放送が一般的だったような気が…。私なんて、普段英語を使わず、簡単に切り替えもできないので、英語を話すことは常にハードルが高く感じるし、今になって英語をもっと使う環境に身を置いておけばよかったと恥ずかしながら後悔なんかしてしまったり…(今からでもやっとけ~笑)。もちろんポルトガルに住んでいる以上ポルトガル語ができるに越したことはないけれど、最近はリモートワークという選択肢がより現実的になり、専門性のある仕事は英語さえできればむしろポルトガル企業より外資系の企業から仕事を請け負って、収入レベルを格段に上げることができます。

そうこうするうちに、アメリカの大学で教鞭をとっているというアメリカ在住の女性が、自分の子供が内気で人前で上手に話せないことを心配しているという話になりました。「いやいや、母親がこれだけ堂々としてるんだから、そんな心配いらんでしょ!」と思わず口にしそうになりながら、2019年から通った修士(税法・ファイナンス専攻のクラスの大半が女子でした)の授業で最初に受けた衝撃を思い出しました。授業では、度々プレゼンを要求されたのですが、そんな中、(特にポルトガル女子達の)プレゼン力は半端ない。ほぼメモを見ることなく、ジェスチャーを交え、立て板に水の如く淀みなく話し終わると、ドヤ顔で去っていくーその威風堂々?とも言える佇まいに圧倒され、「皆超すごいんだけど!」最初のプレゼン授業が終わったその夜、興奮冷めやらず家族にその感動をまくし立てたことが記憶に新しい。

その話を別の所でした時に、自分の子供はプレゼン前に家で猛練習をすると言っている在葡の人がいて、ほー、そういうことかー💡と納得しました。ポルトガル語のパワポとスクリプトを準備するだけで時間切れになる私とは、レベルが違う…トホホですよ、まったく。ちなみに、アメリカの高校では、「スピーチ」といって、公衆に視線を向ける…など人前での話し方を教えてくれる実践的なクラスや、「ディベート」活動も盛んで、校外で開催される大会に参加している生徒もいたような…とおぼろげな記憶が…。結局、何が言いたいかと言うと、アメリカであれポルトガルであれ、人前で話す能力が非常に重要視されるということです。そういうことは、少なくとも私の時代には日本で教育上重要視される項目ではなかったような気がします。もちろん、話す内容が重要なことは言うまでもないことですが、それがどう伝わるかは伝え方次第であることも想像に難くない訳です。

ただ、その堂々とした立ち居振る舞いは、教育の賜物だけではない気もします。つまり、日本にいると、何となく文化的に期待される女性としての立ち位置やふるまいがあって、女性がそんなに堂々と人前で話す姿を見ることは一般的ではなく、そういう人は「特別な女性」という感じがするのは私だけでしょうか(むしろそういう文化的立ち位置を自分に都合の良いように解釈・利用している女性も、私を含め日本では結構いるのではないでしょうか笑)。だからこそ、私の前述の衝撃があったのでは、と思うのです。私自身、もともとフェミニズムなどに興味がなかったので、こちらで時々フェミニズム運動への共感を要求される感覚に辟易する思いがあったのですが、逆に知らない間に刷り込まれてきた女性的役割を自然に受け入れた結果、その「辟易」する感覚が生じていたのかも、と最近思うようになりました。人前で話す姿勢に性格差はあっても性差はないと考える方がより自然だからです。

いずれにせよ、もし、次があるなら、もう少し頑張って準備しようと心に誓った一日でした(毎回誓っているような気が…涙)。

 

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