ドウロ、トラズ・オズ・モンテス地方の愉しみ方

キンタ・ド・ヴァラード(ドウロ地方のワイナリー)ーQuinta do Vallado

2018/04/29
 
キンタ・ド・ヴァラード
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3月のある週末、ドウロ地方のある会の会合があり、その後会員の昼食会がキンタ・ド・ヴァラード(Quinta do Vallado)で行われると聞いて、会員である知り合いに便乗して無理やり(?)参加させてもらうことにしました。一度行ってみたいと思いながら、なかなか機会に恵まれず、ずっとどんなキンタ(Quinta/キンタは農園、ここではワイナリーのこと)か気になっていたのです。場所はレグア(Peso da Régua)から3km強なので歩くにはちょっと距離がありますが、タクシーなら5分程度の距離ですね。

このキンタは、D. Antónia Adelaide Ferreira(アントニア・アデライデ・フェレイラ夫人)が所有したキンタです。現在はその子孫が所有・運営しています。フェレイラ夫人、ポートワインを嗜む方ならご存知の方もいるでしょう。1811年にレグア(Peso de Régua)で生まれ(1896年同地で没)”Ferreirinha(フェレリーニャ)”の愛称で親しまれたフェレイラ夫人は、ドウロ地方の地主(ドウロ地方の土地はマルケス・デ・ポンバル(1699-1782)統治下で農地に強制転換)の家系に生まれ、ドウロ地方の葡萄栽培を発展させ、所有するキンタを拡大、ドウロ地方のワイン生産事業の発展に大きく貢献した人物として知られています。事業を展開することで貧しい土地に労働を生み出したり、葡萄の収穫量が多くてワインの値段が下落する局面ではワインを大量に買い取って生産者を救済したり、フィロキセラの被害でドウロ地方が壊滅的な被害に遭って経済が萎縮する中、在庫のワインでイギリス商人と掛け合って何とか富を生み出したり、権力におもねることなく慈善的な事業活動を行っていたことで、ドウロ地方では非常に親しまれ誇りに思われている人物のようです。

というわけで、フェレイラ夫人は当初ドウロ地方に沢山のキンタを所有していたのですが、その後ソグラッペ社に売却されたりと整理が進み、その意味ではここはいまだにその家族が所有・運営を継続しているキンタとして貴重と言えるのでしょうか。

さて、前置きが長くなりましたが、雨の中キンタの前に到着。

キンタ・ド・ヴァラード

向かって左側がキンタ・ド・ヴァラードのトレードマークである山吹色(雨でちょっとどす黒くなっていますが)の建物、右側が新館(建築家Francisco Vieira de Campos)

今回はドウロをよく知るポルトガル人グループというわけで、館内ツアーではワインの製造プロセスというよりは、キンタ・ド・ヴァラードの歴史や現状の説明が主でした。

キンタ・ド・ヴァラード

製造したワインを仕分けて貯蔵

キンタ・ド・ヴァラード

ワイン樽倉庫

設備は全体的に非常に近代的です。宿泊棟は基本的に盛況で建築物(新館は建築家Francisco Vieira de Camposによる)目当ての建築家のお客さんもいるとのこと。そう言えば、キンタ・ド・ポルタル(Quinta do Portal)でもワイン倉庫の設計が建築家Siza Vieiraによるものなのでそれ目当ての建築家のお客さんがいると言っていたことを思い出す…。ちなみにキンタ・ド・ヴァラードでは施設見学、食事、宿泊が可能です。

さて、待ちに待った食事の時間。キンタ・ド・ヴァラードのトレードマーク山吹色の旧館の建物に案内されました。

キンタ・ド・ヴァラード

中はアンティークな調度品が調和して素敵な空間を作り出しています。お食事は今回はグループ価格(?)一人25ユーロ。メインは肉料理、ワインは通常の赤、赤レゼルバ、最後にポートワイン10年が振る舞われました。

キンタ・ド・ヴァラード

テーブルには既におつまみが…オリーブ、アーモンドはここで採れたものかな…

キンタ・ド・ヴァラード

Caldo Verde(カルド・ヴェルデ)、キンタ・ド・ヴァラードのオリーブオイルを垂らして

キンタ・ド・ヴァラード

デザートはオレンジのシロップ漬けチョコレート掛け

キンタに来たにもかかわらずなぜかワインの写真を撮るのをすっかり失念…今回はあまり余裕を持って回れなかったので、次の機会に是非リベンジしたいと思います。

 

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